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ゴンサレス・ビアス・ヴィンテージ・ポート・1963年

ID: 3990100
¥32,502.44
在庫切れ


概要
1835年、23歳だったマヌエル・マリーア・ゴンサーレス・アンヘルによってワイナリーが設立された。叔父のホセ・アンヘル・デ・ラ・ペーニャ(ペペ叔父さん)はシェリーの利き酒の名手であり、若い甥にワイナリー設立の助言を与えた。初年度の輸出量は10樽程度だったが、3年後には819樽にまで増加させた。19世紀半ばにはイギリス人ワイン販売代理業者のロバート・ブレイク・ビアスを共同経営者に迎え、ゴンサーレス家とビアス家の姓をとってゴンサレス・ビアス社となった。 ペペ叔父さんは辛口のフィノを愛好しており、自分が飲むためのフィノを自ら熟成し、樽には「ティオ・ペペ」(ペペ叔父さん専用樽)と書いていた。1844年に試験的に「ティオ・ペペ」をイギリスに出荷したところ大好評を得て、やがて世界的なベストセラーとなった。1837年に立ち上げられた「ティオ・ペペ」用のソレラ熟成システムは現在まで途切れることなく続いている。 19世紀半ばにはメディナセリ公爵から300年以上前に造られた桜材の樽を16個購入し、この桜材の樽はアモンティリャード「デル・デュケ」のソレラ熟成システムの基となった。1862年には女王イサベル2世がヘレスを訪れ、ゴンサレス・ビアス社はスペイン王室御用達のシェリー生産者となった。1870年頃には樽数が10,000樽を超え、ヘレス最大のシェリー生産者としての地位を確立した。 マヌエル・クリスプロ・ゴンサーレス・イ・ソト(英語版)などの第2世代は事業内容を拡張した。ゴンサーレス家は1988年に単独での支配権を得た。 ゴンサーレス家はシェリーの生産だけでなく、イギリスのスポーツであるポロの導入、スペイン初の芝面のテニスコート導入、植物栽培におけるスペイン初の電気照明と流水設備導入、スペイン初の鉄道敷設計画など、スペインの様々な工業・文化革新に関与した。1862年に女王イサベル2世がワイナリーを訪問した際には、ギュスターヴ・エッフェルの設計によるラ・コンチャ(貝殻)と呼ばれるワイナリーが建設された。このワイナリーの周囲にはすべての輸出国の国旗が入った樽が飾られている。 アンダルシア州カディス県サンルーカル・デ・バラメダにある本社は、キリスト教徒の大聖堂とイスラーム教徒のアルカサルに隣接している[2]。1963年には本社の敷地内に、3階建てで28,000樽を収容する巨大な「ティオ・ペペ」用のワイナリーを建設した。このワイナリーの屋根には、稼働中のものとしては世界最大の風向計が立っている。1972年には80,000樽を収容する「ラス・コパス」と呼ばれる別のワイナリーを建設した。 1982年にはスペイン最高の赤ワイン産地であるリオハ地方に進出し、ボデガス・ベロニア社を傘下に収め、スティルワインの製造にも乗り出した。1997年にはボルドー・メドック地区のシャトー・マルゴーで醸造責任者を務めていたポール・ポンタリエをボデガス・ベロニアの醸造アドバイザーに迎えた。1998年にはビアス家がゴンサレス・ビアス社の経営から撤退したが、社名は変更していない。 現在のゴンサレス・ビアス社はゴンサーレス家の第4世代と第5世代によって運営されており、マウリシオ・ゴンサーレス=ゴードン・イ・ディエス(英語版)などが経営を担っている。2004年にはグルーポ・ビップスと手を組み、マドリードに「ティオ・ペペ」という名称のレストランを8店舗開店させたが、2011年までには閉店している。2006年にはラ・マンチャ地方にワイナリーを設立し、最新設備でスティルワインの「アルトサーノ」シリーズ(赤/白)を生産している。2008年にはビーニャス・デル・ベロという著名なワイナリーを買収した。

The bottling year may not correspond to the image shown.
Characteristics
1963
生産年

1963

Vinho do Porto
酒精強化ワイン

Vinho do Porto

ヴィンテージ
Tipo de Porto

ヴィンテージ

ドウロ
生産地

ドウロ

75cl
サイズ

75cl

16-18ºC
注く温度

16-18ºC