概要
竹鶴という苗字は、家(現在の竹鶴酒造)の裏にあった竹林に鶴が巣を作ったことから由来している。親会社(アサヒビール)に機能子会社化されるまで大株主であった元オーナー一族の竹鶴威は養子(実の甥)にあたる。1929年、鳥井信治郎に招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮。その後、より本格的なスコッチの製造を指向して大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興した。あくまでも品質にこだわり続けた技術者として知られる。1962年、イギリスのヒューム外相が来日した際、“一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった”という意味の発言をしたといわれている。もちろんこれは竹鶴に対する賞賛であった。このとき話題に出たノート(竹鶴ノート)はしばらく所在不明であったが、のちに竹鶴が当時所属していた摂津酒造(1964年10月、宝酒造に吸収合併)関係者の子孫が保存していることが分かり、ニッカウヰスキーに寄贈された。